ディズニーランドとディズニーシーに昨日初めて行きました。
「ディズニーランドは夢の国だ!」と嬉しそうに友人などから聞かされていたので、どんなもんなのかな〜という興味が前々からありついに行ってみたんです。
感想は一言で言えば、「現実を忘れさせてくれる夢の国!」凄く楽しくてまた行ってみたいです。
ただ、その一方で「ディズニーって何か宗教っぽいな〜」とも感じたので、今回はなぜ僕がディズニーを宗教っぽいと感じたのかを記事にしようと思いました。
僕はユニバーサル・スタジオ・ジャパンにも何回か言っていますが、USJではそんなふうには感じませんでした。
ディズニーを宗教っぽく感じる人がどのくらいいるか分かりませんが、僕はかなり強く宗教っぽさを感じました。(楽しくなかったということではありませんよ、メチャクチャ楽しかったです)
ミッキーに会えて泣いている人を目撃したのもあり、そんな姿をみると「えっ!?うそだろ、なんで!?」と若干引いている自分がいました。 苦笑
というわけで今回の記事ではどの位共感を得ることができるか分かりませんが、ディズニーが宗教だと感じた理由を5つの要素(「教祖の存在」「信者」「世界観」「教え」「聖地」)に分けてご紹介したいと思います。
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Contents
ディズニーランドの教祖:ミッキーの存在
宗教には必ず教祖が存在します。それはどんな宗教にも当てはまります。
キリスト教はイエス・キリストですし、仏教はブッダが教祖です。
ディズニーランドはと言うと、ミッキーマウスです。(考案したのはウォルトディズニーですが)
僕はディズニーランドに入ってしばらくした時、このテーマパークのヒエラルキー(階層組織、上下関係)の頂点にミッキーマウスは君臨しているんだな〜と感じました。
入場ゲートを過ぎてエントランスには、お土産や食事をするところがありますが、どこをみてもミッキーマウスをモチーフとしたものが非常に多いですし(ミッキークッキーやミッキー型のパンなど)、女性がかなりの確率でつけているミッキー耳カチューシャもミッキーマウスを連想させます。
大々的におこなわれるエレクトリカルパレードやファンタズミックなどもミッキーを主役としており、演出もミッキーマウスが華やかに見えるように演出されています。
そうしたミッキーを主役として演出された世界の中にいると、自然とミッキーのファンになるような気持ちになります。
その証拠に、僕の友達はディズニーランドから帰ってきたら「ミッキーまじすげー」「ミッキーは神」と熱く語ってきましたし、
今回一緒に行ったツレも、それまではディズニーのファンでも何でもなかったのに、ディズニーランドから帰る頃には「ミッキーは本当スゴイ!」(何がスゴイのかは分かりません 笑)、「ミッキーにもっと会いたい」と言っていました。
ディズニーランドにはディズニー信者がたくさん
宗教には必ず信者がいます。信者がいてこそ、宗教は成立します。
ディズニーランドも例に漏れずディズニーファン(信者)がいます。
冒頭で紹介した、ミッキーに会えただけで泣いてしまうような人は間違いなくディズニー信者だと思います。
ミッキーのTシャツを来て、カチューシャをつけ、お土産を沢山抱えている人。年間100回以上ディズニーランドに通う人など
そういった熱烈なファンがディズニーランドには沢山います。
カチューシャやキャラクターポシェットなどはかなりの高額グッズですが飛ぶように売れています。
カチューシャは恐らく100均位の原価(現実的でスイマセン)と思われますが、それが1500円位で販売されていてめちゃくちゃ売れています。
(カチューシャを付けている人は本当によく目にして、恐らくですが入園者の5分の1位が付けています。リピーターも沢山いるとして買っているのは10人に1人位かもしれません)
ちなみに計算してみましたが、このカチューシャは約年間35億円以上もの売上と推測されます。
1日の来場者が平均7万人位なので、少なくともその10分の1、約7000人が買っているとすると、1500円✕5000=1050万円
カチューシャの月の売上 1050万✕30日=3億1500万円
年間の売上 3億1500万円✕12ヶ月=37億8千万円
カチューシャだけで売上37億円以上という驚異的な数字です。ディズニーファン恐るべし・・・
ディズニーランドという絶対的な世界観の構築
宗教にはそれぞれ宗教独自の世界観を持っています。
ディズニーランドも独自の世界観が作られていて、それは物理的なアトラクションだけでなく精神的なものにまで及びます。
ディズニーランド・シーのテーマーパークはディズニーランドという完全に1つの世界が構築されています。
僕も最初、パーク内を歩いた時、規模の大きさと作り込みに驚きました。
細部まで作り込まれていてディズニーランドを歩いているだけで日本ではない、異世界を歩いているような気分になれます。
「0から新しい街を作ったのか〜!」と度肝を抜かれました
僕は以前イタリア旅行に行った事がありますが、本当にヨーロッパの街を歩いてるような気分になりました。
またディズニーランドからディズニーランドの外側の世界は見えないように設計されていて、これもディズニーランドへの没入感を高めているようです。
またテーマーパークだけでなく、従業員もディズニーランドの世界の一部という設定となっているようです。
例えばディズニーランドでは従業員をキャスト(共演者)、お客さんをゲスト(招いたお客様)、パーク内をオンステージ、パーク外をバックステージと呼びます。
来園者達はディズニーランドというパーティーに招かれたお客様という設定なんです。
キャストの教育も徹底されていて、ディズニーの世界観を壊すようなことは言ったりふるまったりしません。
例えばパーク内でゴミを拾っているキャストをカストーディアルと言いますが、カストーディアルに何をしているのか尋ねると「星屑を集めているんだ」と教えてくれるそうです。
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ディズニーランド内での教え(規則)について
宗教には教えがあります。キリスト教は聖書、イスラム教にはコーランにその教えが記されています。
ディズニーランドにも教え(規則)があります。
主にそれはキャストについてですが、USJとは異なりディズニーランドでは世界観を壊さないようキャストの振る舞いや言動が決められています。
ディズニーランドへのお客さんはあくまでもゲスト(招かれたお客様)で、従業員はキャスト(共演者)だから、ディズニーランドのテーマパークの一部としてキャストはゲストを楽しませるよう接客します。
キャストは身だしなみについて髪型や髪の色など外見のことや振る舞いについて決まりがあり、教育が徹底されているのでキャスト同士で世間話をしたりとか、ダルそうにしているキャストはいません、夢を壊してしまうような発言をするキャストもいないのです。
アトラクションという聖地がある
宗教には聖地が存在します。
例えばキリスト教であれば、エルサレム、ローマ(バチカン)。イスラム教であればメッカなどです。
宗教では聖地をめぐることを聖地巡礼と言いますが、ディズニーランドではアトラクションがこれに相当します。
アトラクションをめぐることでディズニーランドという世界に没頭し、より信仰を深めディズニーランドのファンになっていきます。
まとめ
というわけでディズニーランドが宗教だと感じた理由について語ってきました。
振り返ってみてもやっぱり宗教っぽいよな〜ディズニーってと感じます。
ただ間違いなくディズニーランドは、現実を忘れさせ夢の国に誘ってくれる魔法の国だと思うので、また行ってみたいと思います。
それではありがとうございました。