福本伸行さんの漫画で最も有名なのがギャンブルをテーマにした「カイジ」です。映画化されスピンオフ漫画も出るなど非常に人気のある作品です。
そんな福本伸行さんの漫画であまり知られてはいませんが、一部の読者から「カイジ」よりも名作と言われている作品があります。
それが「最強伝説 黒沢」です。
僕はどちらの作品も読みましたが圧倒的に「最強伝説 黒沢」の方が好きです。
物語の簡単なあらすじは取り柄も人望も家族すらもない40歳過ぎの土木作業員のオッサンが、自分の人生の主導権を取り戻すために七転八倒しながら自分の人生と奮闘する物語です。
正直、僕はこの漫画を読んで泣きました。マジで感動しました。
数百冊と漫画を読んできましたが、漫画を読んで泣いたのははじめてです。
そもそも泣くことなんてほぼ無い自分が「最強伝説 黒沢」にコレだけ心を動かされてしまったことに自分でも驚きました。
最初は福本伸行さん独特の汚い絵だな〜と思って読む前は期待していなかったんですが、マジでやられてしまいました。
絵なんかストーリーが素晴らしければ関係ないです。
最近漫画や映画で泣いたこと、感動したことが無いという人は是非読んでみて欲しいです。心を動かされてしまうこと請け合いです。
自分を責めてしまったり、自分に辛くあたってしまう人、人生がつまらないと感じている人にも是非読んでほしいです。読むだけでムクムクとパワーが湧いてきます!
というわけで今回は「最強伝説 黒沢」の名言とそれにまつわるエピソードをご紹介し、この漫画の素晴らしさを伝えたいと思います。
(名言の箇所全てを引用すると長くなりすぎるため、一部抜粋しつつ名言をまとめているのでご了承下さい。)
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Contents
他人事の感動なんて本当の感動ではない!
(サッカー日本代表の試合のテレビ中継を主人公黒沢が仲間達と観戦している場面)
感動などないのだ・・・
人一倍・・・そう・・・まわりの誰よりも大騒ぎをしながら、
オレは・・・胸の奥がどんどんと冷えていくのを感じていた・・・!
そう・・・オレが求めているのは
(省略)
オレの鼓動・・・オレの歓喜。オレの咆哮。
オレのオレによる、オレだけの・・・感動だったはずだった・・・!
(省略)
他人事じゃないか・・・!
どんなに大がかりでも、あれは他人事だ・・・!
他人の祭りだ・・・!
いったい・・・
いつまで続けるつもりなんだ・・・?
こんな事を・・・!
※ 「最強伝説 黒沢 第1巻: 第1話 今日」 より抜粋
黒沢第1巻の冒頭部分での名言です。
周りの人とテレビにバカ騒ぎする一方で、黒沢の心の中は虚しさで一杯だったのです。
しょっぱなから突き刺さりました。心のなかで
「そうなんだよ、他人事に熱狂したり時間を使って自分の人生には何の意味もないんだよ!自分の感動ために頑張るべきなんだよな!」と激しく頷いてしまいました。
社会人になる前までは多くの人が自分の将来に夢と希望を持っています。
しかし社会人生活を続けていくなかで様々な挫折や現実に直面し、自分を見限り、次第に自分に期待しなくなっていきます。
「オレにはどうせ才能なんてない!オレの人生はこんなもん・・・」そして自分には期待せず他の誰かがみせてくれるもので一時的に感動を味わったような気になり満足するようになります。
でも結局、自分以外の何かに感動したところで所詮それは他人の祭りであり、偽物なのです。
この言葉を読んだ時ハッとさせられ、本当の感動を味わうために、(他人事に時間を使うのではなく)自分の理想を追って自分の感動を求めよう!と思いました。
人間には命を賭しても守るべきものがある
(黒沢が複数のヤンキーに何の理由もなく突如拉致され、面白半分でボコボコに殴られたうえ、最後にバットで頭を割られるか土下座すれば許してやると言われ選択を迫られた場面)
相手にならず・・・あやまるしか・・・
(土下座しようとするも、黒沢の体がなぜか体が動かない)
う・・・あれ・・・?
あれあれ・・・?なんだ・・・?どうした・・・?
どうして固まる・・・?
(省略)
あやまるって・・・!あやまるっ・・・!
え・・・?なぜ停まる・・・?
何を守っている・・・?あやまらないことによって・・・!
(バットが振り下ろされる)
それは、命より大事なものなのか・・・?
※ 「最強伝説 黒沢 第2巻: 第17話 泥濘」 より抜粋
土下座すればヤンキーたちから開放されたのかも知れませんが、黒沢は結局土下座をせずバットで頭を強打されてしまいます。
「それは、命より大事なものなのか・・・?」
この黒沢が最後まで守っていたものは人間の矜持(誇り)とか尊厳とかそういうものだったんじゃないかと思うのです。
それが土下座しようとする黒沢を最後の一歩で拒ませたのだと思います。
バットで頭を殴られたら死ぬかもしれない・・・でも例え死んだとしても理不尽にさらされたとしても自分の誇りを守るために必死に生きるんだ!というメッセージがこのやりとりには込められていると感じました。
ちなみに僕は2巻を読み終えた時点で、冴えない主人公黒沢がどうしようもなくカッコイイオッサンに見えはじめていました。
自分の矜持(誇り)のために闘おう!
(ホームレス刈りからホームレス達を救い仲良くなった黒沢。ヤンキー集団が襲ってくるので住んでいた公園を明け渡し、高齢で脚が不自由なばあちゃんホームレス一人を残し全員で逃げようとしているが黒沢がそれを制止する場面)
他人事じゃねえ・・・!オレも死ぬ・・・いずれ・・・朽ちて・・・死ぬ・・・!
その死に際・・・思うだろ・・・結局・・・オレは何も出来なかった・・・・・と・・・!
結局・・・オレは・・・女一人・・・女一人・・・救えなかったんだ・・・と・・・!
(省略)
救われねえのは・・・このばあちゃんじゃねえ・・・!
オレ達なんだよっ・・・!
今・・・立たなきゃ・・・オレ達が救われねえんだっ・・・!
へたれだろうが・・・!オレ達はへたれ・・・!ダメ人間・・・!
たぶんこの先も・・・成功とか栄光とか・・・んなもの・・・望めねえっ・・・・・!
そんなオレ達だが・・・けど・・・今・・・立てば・・・
男にはなれるだろうよ・・・!
今・・・立てばそういう・・・矜持・・・!
誇りを、胸に抱けるだろう・・・!
自分を捨て・・・このばあさんのために・・・
闘えたなら・・・死に際・・・安らかだ・・・!少しはよ・・・!
※ 「最強伝説 黒沢 第10巻: 第79話 物語」 より抜粋
どんなに怖くて負けるかもしれなくても闘うべき時がある。という黒沢の姿勢に心を打たれました。
大人になるにつれ、要領良くやるとか損得を考えることばかり考えるようになっていました。
しかし、黒沢は本当に大切なモノはそういった損得などを全て捨てたところにあることに改めて気がつかせてくれます。
上記のやりとりで印象的なのが、ここで逃げ出したらばあちゃんが救われないんじゃなくて、オレ達が救われない、という部分です。
ばあちゃんを見捨てず逃げないことによってばあちゃんが助かるどうこうではなく、これからさき自分自身、一人一人が胸を張って生きていくことができると、誇りを持って生きていくことができるんだ!と教えてくれているのです。
もしここで逃げてしまったら安全・無事に過ごせるかもしれないけど、救いようのない本当にどうしようもない人間になり下がってしまうということなのです。
そういう矜持のために闘える人間でありたいなと僕も思いました。
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どうせ生きるのなら自分の物語を生きよう!
(ヤンキー達との決闘を前にホームレス達の前で自分の人生を語りだす黒沢)
気がつけば・・・遠い・・・!
理想から・・・もっとも遠い所にいた・・・!
オレは・・・目先の欲に振り回され・・・完全に混乱・・・迷走・・・!
ぐるぐるぐるぐる・・・
同じ所をただ・・・回るような毎日・・・!
そりゃそうだ・・・!
オレの人生には・・・背骨がないっ・・・!
人生の・・・ど真ん中を貫く・・・
物語がない・・・!
立身栄達の道を失ったら・・・
やる気のスイッチを・・・全部切って・・・
もう・・・どうでもいい・・・!喰えりゃあそれでいい・・・みたいな毎日・・・!
(省略)
困ってる人・・・力のない人達を・・・見捨てんな・・・!
ひとつを何人かで分ける時は・・・譲ってやんな・・・!
荷物は・・・黙って重い方をスッ・・・と持つんだぜ・・・!
ともかく・・・いつも損してな・・・!そして笑ってな・・・!
・・・ガラじゃねえが・・・たまにはいいだろう・・・!
今夜・・・そういう男になろう・・・!
※ 「最強伝説 黒沢 第10巻: 第80話 昂揚」 より抜粋
中学生や高校生の頃には多くの人が将来にキラキラとした夢を持っています。
冴えない・つまらない毎日ではなく、自分が主人公で心から楽しく活躍しているような未来・・・
しかし、次第に現実を目の当たりにして、自分の夢や希望を諦めたり見限り、「現実的」に生きていくようになります。
そして「無事に何事もなく毎日を過ごせればそれでいい」「退屈だけどなんとか食べていければいい」、と自分の理想を完全に捨てた生活を送りはじめるのです。
しかし、黒沢は
「自分の人生なんだから、自分が主人公の自分の物語を生きた方がいい!」
と強く言っているように感じるのです。自分の理想に生きるのが自分の人生だと。
世間では自分のやりたいことや理想を口にすると、「現実的になれよ」とか「どうせ無理」という言葉をかけられる事が多いものです。
しかし、そういう人も過去に恐らく自分の理想を諦めた人であり、その言葉を鵜呑みにしてはいけません。
何故なら自分の理想を生きない限り本当に満足したり心から充実することはできないからです。
少しでもましな人間、オレのヒーローになろう!
(黒沢率いるホームレスとヤンキーとの決闘。次第にヤンキー達の勢力に圧されるホームレス達。黒沢もボコボコにされながら懸命に応戦する場面)
損得だけで生きて何になる・・・?
ましてや安楽・・・あるいは安全・・・
そんなものだけを追って・・・生きて・・・何になる・・・?
そんなことはミジンコ・・・ゴキブリだってやっている・・・!
違うっ・・・!
違うっ違うっ・・・!そうじゃないっ・・・!
オレ達人間は・・・人間ってのは・・・
それ以上の・・・何かだろう・・・!
それ以上の何か・・・つまり・・・人間を・・・人間足らしめている・・・
心・・・!感情がある・・・!
それは・・・たぶん・・・少しでいいから・・・一歩でいいから・・・
ましな人間になろう・・・という気持ちだろう・・・!
オレが・・・オレのヒーローであろう・・・という気持ちだろう・・・!
つまり・・・矜持だろう・・・!
もし・・・もしそれを・・・本当にすべて・・・
失ってしまったら・・・それこそが・・・
本当の意味での・・・
敗者だろう・・・・
※ 「最強伝説 黒沢 第11巻: 第86話 惨状」 より抜粋
「オレのヒーローであろう・・・という気持ちだろう・・・」この言葉にやられました。
というかこの部分で何回も泣きました。
人間誰しも自分が自分自身のヒーローでありたいと心の底では願っているのではないでしょうか。
でも、自分自身のヒーロー像と現実の自分は異なっていて、ダサかったりパッとしなかったり無力だと感じたりすることも多いものです。
黒沢はこの闘いに勝利しても負けてもメリットは全く無いのですが、目の前で困っている人や弱い人が足蹴にされている、それを放って逃げることは「理想の自分の姿」ではないのです。だから黒沢はヤンキー達と闘いました。
傍観者ではなく勝とうが負けようが困っている人や弱い人が足蹴にされている人がいたら助けるのが「オレのヒーロー」なのです。
これは結果がどうこうではなく、プロセスに意味があるということだと思います。
社会では成績や実績など結果ばかりが注目され、結果によって評価されることが多く、プロセスなんてどうでもいいと思われがちですが、そうではないのです。
結果がどうあれ、自分自身が自分の理想であろうとしたこと、そのプロセスに本当の意味があるのです。
もし黒沢がどうせ負けるからと思い、誰も助けずヤンキー達と闘わなかったらこの先自分を誇って生きていくことはできなかったでしょう。
僕自身、結果や損得を考えて尻込みしたりすることも多かったので、この場面は本当に感動しました。
まとめ
「最強伝説 黒沢」の名言をご紹介してきましたが、いかがだったでしょうか?
少しでも「最強伝説 黒沢」の魅力が伝わり手にとってみたいと思ってもらえたのなら幸いです。
絵が苦手だからと食わず嫌いせず是非読んでみて欲しいと思います。
それではありがとうございました。