「努力は必ず報われる」という言葉を誰でも一度くらいは聞いたことがあると思う。
何かに向け頑張っている人がこの言葉を聞けば力が湧いてくる、そんな良い言葉だなあと感じます。
僕も大学の受験勉強をしていた頃に、この言葉を思い出し「そうだ、この頑張りは報われるはずだ」とやる気が湧いた記憶があります。
しかし、大人になり社会人として様々な経験を積んでいるうちに、この言葉を思い返してみて、「この言葉って本当なのか?」と感じるようになったのです。
つまり「努力する=必ず報われる」は必ずしもイコールではないと感じ始めたのです。
もちろん、僕は努力すること自体を否定するつもりは全く無いし、むしろ何かに向かって努力するのは素晴らしい事だと思うし、何かを達成したいのであれば努力は必要なものだと考えています。
ただ、現実として努力した全ての人が結果に結びつくとは限らないし、努力しても上手くいかない事は必ず起こると実感したのです。
じゃあ「努力は必ず報われる」という言葉は全くの嘘っぱちなのか?というと、そうではないとも思っています。
というのも「努力は必ず報われる」という言葉には2つの捉え方があるからです。
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「努力は必ず報われる」には2つの意味がある
「努力は必ず報われる」という言葉には2つの意味があります。
1つは「努力すれば必ず結果が出る」という意味、そしてもう1つは「(上手くいくかどうかに関わらず)努力したプロセス自体が自分の糧になる」という意味です。
努力したとしても必ず結果が出るわけではない
「報われる」という言葉を「結果が出る」という意味で考えると、努力をすれば必ず次のような事が達成できるという事です。
仕事で成果を上げる、希望の大学に入る、行きたい会社に就職する、資格を取得する、希望の仕事に就く、TOEICで900点を取る、年収1000万円など・・・
この「結果」の中には、沢山の努力をしても必ず結果に結びつかないものも存在します。
例えば活躍できる人の数が非常に限られている分野などはその典型です。そういった分野では用意されたイスを奪うために熾烈な競争が行われます。
活躍できる人の数が限られている分野の例として将棋のプロ棋士をみてみましょう。
2018年現在の将棋のプロ棋士の人数は合計すると150名ちょっとです。
この150名ちょっとの枠に入るのがどれ位困難な事なのかを説明すると、
まずプロ棋士になるためには試験にパスし「奨励会」に入会しなければなりません。奨励会はプロを目指す人達の登竜門の様な場所で、子供の頃から天才と言われてきたような才を持つ人達が集まります。
入学試験は年1回、2段階方式でおこなわれ受験者同士の対戦で6局中4局以上勝ち越し(3敗すれば不合格)、さらに現役の奨励会員にも3局を打ち、1局以上勝つ必要があります。
奨励会に入会すると最初は6級からスタート、勝ち星をあげていけば昇段していき、三段まで到達すれば年2回行われる三段リーグと呼ばれるリーグ戦に参加することができ、そこで上位2名なれば、はれてプロ棋士になれるのです。
プロになれるか(将棋で食っていけるか)がかかっていますし、年齢制限があり満21歳までに初段、満26歳までに四段に昇段できなければ強制的に退会となるので、奨励会では皆が毎日死に物狂いで将棋の事を考え、血眼になって勝ち星を拾いにきます。
つまりプロ棋士になるためには、全国から集まった猛者から勝ち星を継続してあげ、年2回しか開催されない三段リーグでトップ2名に入らなければならないという超狭き門なのです。
このように用意されているイス自体が少ない場合、当然ですがたとえ必死に努力をしたとしても結果が出ない人は必ずでてくるのです。
だから努力をすれば必ず報われるという言葉を「努力すれば必ず結果が出る」という意味に捉えると、それは必ずしも真実ではないという事になります。
努力したプロセスは必ず自分の糧になる
では次に「報われる」という言葉を「(上手くいくかどうかに関わらず)努力したプロセス自体が自分の糧になる」という意味として捉えるのはどうでしょうか?
先ほどの将棋の例について考えてみると、結果的には必死に努力したけれどプロ棋士になれなかった人について考えてみましょう。
一生懸命努力したにも関わらずプロ棋士になれなかった人は、こんな事を考えるかも知れません。
「これまで自分がしてきた事は全て無意味だったのではないか?」と。
結果だけにフォーカスすれば確かにそうかもしれませんが、プロ棋士になるためにやってきた事が全て無駄な事であり、それらのプロセスが当人に何ももたらさなかったのかというとそうではありません。
実際にはプロ棋士になるために頑張ったその過程が、その人の人生にとっては大きなプラスとなります。
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努力した事で必ず得られる2つの成果
具体的に「努力してきたプロセス」の何がプラスとなるのかについてお話します。
一生懸命努力してきて得られたものというと、専門的なスキルや知識等を思い浮かべるかもしれません。
しかし、こういった過去に学んできた専門的なスキルや知識が、自分の将来に必ず役立つのかというとそれは分かりません。
自分の進路の先で学んできたスキルが役に立つ事もあれば、全く役に立たないという可能性も十分あり得ます。
だから「必ず」学んだスキルや知識によって報われるとはなりません。
では、努力した事で「必ず」得られる成果があるとしたら、それは一体何なのでしょうか?
細かいものを入れれば沢山あるかもしれませんが、僕は努力をする事でどんな人でも2つの成果を必ず手に入れることができると考えています。
それは以下の2つです。
- いまの自分の人生に対する納得感
- 物事に向き合う姿勢
いまの人生に対する納得感
いまの人生に対する納得感とは、「自分の人生はこれで良いのだ」という感覚の事です。
一生懸命頑張った経験があるからこそ、もし結果がどうであっても、「自分の最善は尽くした」と、納得して次の段階に進むことができるようになれます。
しかし、もし何か目標や実現させたい事があったにも関わらず、努力もせずダラダラと時間を過ごしたり、中途半端に取り組んだとしたら、こういった納得感は絶対にでません。
むしろ後から「もっとできたかもしれない」「努力すればよかった」と、後悔ばかりが押し寄せてくるでしょう。
人生にとって最も大きなリスクが後悔する事だとすれば、一生懸命に努力する事は「後悔」という人生にとって最も大きなリスクを最小限にしてくれるものだと言えるかもしれません。
物事に向き合う姿勢
努力する事で必ず得られるもう1つのものとは「物事に向き合う姿勢」です。
自分の目標や課題に向かって努力を続けていると、段々と物事に対して粘り強く向き合う姿勢が身についていきます。
努力をしていると上手くいかないことや、なかなか向上しない自分に対して憤りを覚える事があります。
そういった自分と向き合いながら我慢強く自分を向上させたり課題を克服しようとする経験を積む事で、物事に対してしっかりと向き合う事ができるようになっていきます。
逆に言えば、目標ややりたい事があるにも関わらず、それらと向き合わず直ぐに逃げ出す事を繰り返していれば、物事に向き合う姿勢は身につきません。
こういった物事に向き合う姿勢は、思い通りの人生を生きたいと望む人であれば必ず必要になる姿勢です。
人生で起こるイベントは簡単に解決できたり、達成できるものばかりではなく、重要なイベントの多くは、じっくりと取り組む事が必要があるからです。
まとめ
現代社会で生活を送っていると、成果や結果ばかりが重要視されるために、プロセスよりも結果の方が重要なのだと感じてしまうことも少なくありません。
ただ、「結果が出なければそれまでの努力が全部無意味だ」と言ってしまうのは違うと思うのです。
僕が思うのは、結果も重要だけれど、人生にとって大切な納得感を手に入れるためには努力したプロセスこそ重要視するべきだと言うことです。
努力しても結果が必ず出るかは分からないけれど、一生懸命努力すればいま生きている人生の納得感を得る事ができるという意味で「努力は必ず報われる」という言葉はまさしくそうだなと思います。