仕事や勉強、家庭の事と全てを完璧にこなすことができれば素晴らしいですよね。
しかし、自分が関わることを必要十分以上にこなそうと粉骨砕身する完璧主義の人は完璧を追い求める余り、疲弊してヘトヘトに疲れてしまったり、他人にも厳しい基準を求めてしまいがちです。
人間は誰しも完璧ではないので、全てを上手くやるのは不可能なのです。
完璧主義は行き過ぎると自滅してしまう可能性があります。もしいま上手くやろうとし過ぎて疲れ切っているのなら、それは完璧主義の自分と折り合いをつけないといけない時期が来ているということです。
今回の記事では完璧主義をやめるための方法について解説をしていきます。
現在では全く完璧主義ではなく、むしろ適当?になってしまっている僕も、昔は完璧主義者で自分にも他人にも厳しくあたっていました。
完璧でないとダメなのではないか、何かが欠けてしまっているような感覚があったのです。でもある時から、苦しくなってきて、もういいや完璧じゃなくてもと半ば自暴自棄である種適当にやるようになった。最初はやっぱり違和感があったし、何かが欠けているんじゃないかという感覚も勿論あった。
でもいつからかそういった違和感は無くなり、ある種適当に人生をやれるようになった。
そんな経験も踏まえてどうやって完璧主義を克服したのかについてお話ししたいと思います。
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元完璧主義のニシキがどうやって完璧主義をやめることができたのか?
僕が完璧主義をやめたのは高校2年の終わりの頃でした。
完璧主義だった頃の自分
僕は子供の頃は、自分がコレだと思った分野では自分が求める基準以上、もしくは完璧にやらないと満足いかない性格を持っていました。
例えばテストに取り組む際には、何日も前から何回も時には何十回も出題範囲を復習して挑むような感じでしたし、趣味でプラモデルやミニ四駆を作る際にも細部までこだわり納得がいかなければ、また買って作り直すほどのやり込みようでした。
そのおかげというか、成績は良い方でしたし、ミニ四駆の大会では優勝したりもしました。
ただ思い返せばよくないことも結構あり、自分の求める基準を他人にも押しつけて怒って友人から嫌がられたり、完璧を求めて自分をすり減らすような感じで物事に取り組み精神的に辛くなることも多くありました。
なぜ自分は完璧主義者だったのか?その原因とは
完璧主義だった原因を考えてみると、自分の場合は両親の影響が大きかったと感じていますし、実際そうなのだと思います。
完璧に物事をこなすことで褒めてもらったり、認めてもらえたりと周りからの評価(親や友人など)を得ることができるからです。
自分の満足のために完璧を目指すのであればまだ良いのですが、周りの評価のために完璧さを求めるのは結構辛いものなんです。
そんな自分ですが「適当」に生きていいんだと分かったのは偶然からでした。
神経をすり減らすことに疲れ「適当」「いい加減」にやる事を覚えた
僕が通っていた高校は進学校でほとんど長期休みなどなく、毎月のようにテストがあるような感じでした。
高校2年の頃、テストもこなさないといけない上に、宿題や予習もかなりの量を課されるので次第にそれらをこなすことがキツくなってきました。
国語や英語など決めた分野はしっかりと課題に取り組んでいたのですが、完璧にやろうとしても、次から次へと復習する箇所や予習する分野などが出てきて手に負えなくなってきて、精神的に苦しくなりました。
そうしてある時「もういい!これじゃあ自分がパンクしてしまう!」と半ばヤケになり、周りの評価はどうでもいいから、とにかく程々にこなすことを心に決めました。
最初は完璧にやりたい自分が顔を出し、「こんなんでいいのかな?」と、違和感を感じることも多くありましたが、そうした姿勢を貫くうちに段々と慣れていき、「程よく適当にやる」ことができるようになりました。
「適当さ」や「いい加減さ」というものを以前は嫌っていましたが、そういう価値観をある程度取り入れて生活するほうがよっぽど楽しい事に気が付きました。
勿論、完璧を求めてガツガツやっていた時の方が成績は良かったのですが、それよりも精神的にゆとりがあって、楽しい状態で毎日を過ごすことができる方が僕にとっては心地が良かったです。
完璧主義のデメリット
完璧にやろうとし過ぎることには以下のようなデメリットがあります。
自分の基準を相手にも無意識に求める事で、他人に厳しくなる
完璧主義者の人は自分の基準を無意識のうちに周りの人にも求めてしまいます。
もし周りの人が自分の求める基準を満たさなければ、それに対して激しい怒りを覚えます。
これは心理学の「投影」という心理で、「投影」とは自分が心のなかに持っているフィルターを通して物事をみる事を言います。
※ちなみに投影はほとんどの場合自分では自覚しないで起こります。周りの人に対して様々な感情を抱いているのは相手の問題ではなく、実は自分が色々と偏った見方や考え方をしているためにそういった様々な感情を抱いてしまう事が非常に多いです。「他人は自分を写す鏡」と言われますが、まさにこの事を指しています。
完璧さを求めることに疲れ果ててしまう
完璧に何かを行おうとすることは、普通に物事に取り組むよりも大抵の場合精神を消耗し、肉体的にも疲れを感じるものです。
1つのイベントやプロジェクトなど一定の期間だけ完璧さを求めるのであれば耐えられるかもしれませんが、もしそれが長期に渡るのであれば間違いなく疲れきって動けなくなってしまいます。
些細な間違いにイライラし精神的に不安定なる
完璧に何かを行うという事は、間違いや欠けているものがあってはならないということでもあります。
そのため完璧主義者は間違いや欠けているものに非常に敏感になります。
もし間違いや欠けがあれば居ても立ってもいられない気持ちになり、それをどうにかするまで感情が落ち着くことがありません。
失敗が許せなくて苦しくなる
何かに取り組み、その結果上手くいかなかったという経験は誰しもあると思いますが、完璧主義の人は失敗が許せない傾向があります。
自分の中に完璧な状態以外は認めることができないという価値観があるために、失敗を自分の中にうまく飲み込むことができないのです。
挑戦することに気後れする
何か新しい事に挑戦するということは、未知のことであり、当然失敗を重ねてしまう恐れも多々あります。
完璧主義の人は失敗や予測不可能な事を恐れるあまり、新しいことにチャレンジできない、もしくは挑戦しない傾向にあります。
完璧に準備してからでないと物事に取り組めない
完璧主義の人に非常に多いのが、計画を100%立てきるまで行動に移すことができないという習性です。
これは失敗や予測不可能な事態に陥るのが怖いために、無意識に完璧にシュミレーションを行おうとするものです。
こういった用心深い習性が役に立つ場面も確かにありますが、これが強すぎると行動に全く移さず、結果を残すことができない場面が非常に多くなります。
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完璧主義者をやめるための5つの方法
完璧主義をやめる方法ですが、いちばん大切なのは完璧ではない状態に慣れる事です。
突然程よく、適度にやる事ができるようになるのは難しいので、段々とそういう自分になっていくことです。
以下の事を実践していくうちに次第に適度にやることができるようになれます。
あえて80%で止める事を自分に課す
基準を決めて十分なところまで何かを達成したのならそこでやめることを習慣にしてみてください。
大体70〜80%達成できたのならそこで終了するようにします。
もっと欠けている所を満たしたいと思っても、それは我慢して作業を中断するようにして下さい。そして別の作業があるのならその作業に移ります。
行き当たりばったりで何かをやってみる
これは完璧主義者の人が持っている計画してからでないと行動できない習性を改善するために行うもので、行き当たりばったりで何かをやってみる事を試してみて欲しいと思います。
例えば目的地だけ決めて後は何も決めずに旅行に出てみるとかそういった事でOKです。
大切なのは何も決めていなくても、十分に楽しく過ごすことができるという経験をするということです。
準備・予習することを意識してやめる
必ず準備・予習が必要となるような重要なイベントでなければ、準備や予習をして臨むのをヤメてみましょう。
勿論最初は不安があると思いますし、上手くできない経験をするかもしれません。
ですが何とかそういった状態でもやりきることができたのなら、それが良い経験となります。
準備や予習をしなくてもある程度うまくやれるということを身を以て体験することが重要です。
手に負えない環境に飛び込んでみる
荒療治にはなりますが、自分ができる限界や手に負えないと思える環境に飛び込んでみるのも完璧主義を捨て去ることができる経験となり得ます。
これは僕自身が経験していますが、自分が手に負えない環境に放り込まれると、いままで作っていた色々な制限などが破壊されます。
完璧主義的な習性も自分がこなせる限界以上の作業量が振ってきた場合、完璧主義的な習性は身を潜め、ある程度要領よくやる術を否が応でも身につけることができるようになれるでしょう。
慣れてくると完璧じゃなくても違和感を感じなくなる
完璧主義を克服する方法は上記の事を繰り返し、完璧でなくても十分だという感覚を自分に植え付けていくことしかありません。
完璧にこなすことも勿論メリットは多いのですが、適度にこなせるようになると本当に人生を気楽に、楽しく過ごすことができるようになれます。
まとめ
完璧主義をやめるための方法について解説をしてきましたがいかがでしたか?
何でも完璧にやりたいという価値観で生きていると、精神的に疲れてしまうものです。
適当さ・いい加減さを身に着けて生きていけると、肩の力が抜けたより楽しい人生を送ることができるようになると思います。
ありがとうございました。